校章、校歌
校章
岩瀬高校の校章の由来
旧岩瀬町の名誉町民 故 榎戸庄衛 画伯により考案されました。
次のような意味を持ちます。
茨城県の名峰筑波山を象形しています。
謡曲に謡われている桜川の流れを表しています。
旧岩瀬町を表しています。
は大樹の幹より若芽が生えた姿を表し,伸びゆく若葉,希望に満ちた生徒を象徴しています。
桜の花弁,丹心(まごころ)を表します。
▲ 岩瀬高校 校章
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校歌
藤島・白石両先生の渾身の名曲
加波の山並みにこだまする
岩瀬高校の名
茨城県立岩瀬高等学校 校歌
白石浪男 作詞
藤島昌寿 作曲
一 文化の朝明け 二つ峰筑波
受け継ぐ郷土の 期待をあつめ
かがやく若葉は われらが力
ともに進取の気性を鍛え
気迫みなぎる 岩瀬高校
二 歴史はゆかしく 名も桜川
月影かわらず 花咲く岡に
伸びゆく新樹は われらが姿
うちに高雅の思いを湛え
英気あふれる 岩瀬高校
三 山なみはるけく 広がる沃野
あかるき窓べに 未来を思う
三年のつどいは われらが誇り
つねに思索のならいをたもち
理想はばたく 岩瀬高校
昭和40年 校歌制定
高校生活では折に触れて「校歌」を歌う機会がある。入学式、卒業式、壮行会、野球応援…。岩瀬高校は開校したものの、校歌はまだなかった。
入学早々4月に、新入生が遠足で大谷観音に行くバスの中、ガイドさんに「校歌を歌って」と言われても、「ないです」と答えるしかなかった。
そんな寂しい思いをしている岩校生を見ていた初代校長の白石浪男先生は、校歌制定に取りかかった。作詞は校長先生自ら手がけ、作曲は、当時水戸三高で教鞭をとっておられた新進気鋭の作曲家藤島昌寿先生に依頼した。
昭和40年5月13日、つまり最初の創立記念日に校歌が制定された。まだ1・2学年しかいない生徒たちだったが、その日、彼らの歌声は加波の山並みにいつまでも響いていた。
50周年記念誌から
▲ 校歌楽譜
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